人間の評価基準

人は様々な基準で他人を評価している。
そして多くの人がその評価で自分と他人の間に優劣をつけ、話し方や態度を変えている。

多くの人は無意識に「金」「肩書き」「学歴」など目に見えるわかり易い指標を重要な評価基準にしているように感じる。近年だと「フォロワー数」なんかもそのひとつだろう。自分よりお金持ちな人や社会的地位の高い職業の人にはペコペコ頭を垂れ、それをされた側も当然のように振る舞っているという風潮というか社会的習慣が蔓延っている。

確かに、優秀な経営者や賃金のいい職業に就くための努力は評価されて当然だし、例えば類稀なる結果を出しているアスリートや、影響力のあるアーティストなどがその結果や努力に対してリスペクトを集めるのは頷ける。

しかし、社会的・世間的に重要だと思われている(刷り込まれている)指標を盲目的に評価基準にしている人があまりにも多い。まあ僕たちは社会・世間に生きているので仕方ない部分も否めないが、本来他人が何者であるかを測る基準は無限にあるし各々自分の基準を持っていいはずだ。

もちろん生きる世界が違えば基準も違うが、僕らは社会人であると同時に地球人であり一種の動物である。経済社会で生きるビジネスマン同士が利益のために「社会的に重要とされる指標」で態度や言動を変えるのは大切なのかもしれないが、それがあまりにも日常生活にも侵食している。多くの人がその人間関係にストレスを感じているのではないだろうか。

つまりもっと自分が大切だと思える指標で他人と関わっていいはずなのだか(優劣をつけるという意味ではない)、社会や世間がそうさせてくれないジレンマがある。それをすると逆に生きにくくなるのだから。

と、乾杯の時にグラスをどこまでも下げる「社会人」を見て思った話。

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